カワラヒワ通信 NO.9 2020年11月
ハレルヤ!
突き抜けるような青空が広がった11月15日、第6回カワラヒワの集いを開催いたしました。佐久穂のログハウスでの参加者6名、Zoomでの参加者18名でした。念願の初来訪となったご夫妻は岡山からの参加でした。皆さんご参加ありがとうございました。
コロナ禍の影響で延期になっていた父の遺稿集をキリスト教団出版局より、出版させていただくことになりました。2冊同時に12月14日に刊行予定です。2冊ともに定価1400円+消費税です。
タイトルは
○風は思いのままに 聖書黙想31日
○赦されて生きる 山本将信説教集
購入方法などのご案内は、準備が整い次第、メール、Facebook、カワラヒワ通信などでご連絡いたします。
どうかたくさんの方に読んでいただけますように。
次回、カワラヒワの集いは12月15日(火)14時からです。
ご参加お待ちしております(^O^)/
シャローム
復刻!ことばの栞 2012年11月
このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。‥‥ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。
ヘブライ11:13ー16
★文部省唱歌「ふるさと」は第二の国歌とも呼ばれる故郷賛歌です。ありのまま全てを受け入れられて安らっていた子ども時代は私たちの心の支えです。しかしそこにはもはや帰ることはできません。
★古今東西、故郷思慕の念は変わらないようです。「ヘブライ人の手紙」もそれを物語っています。今日の御言が告げていることは、故郷思慕は過去に求めるのではなく、未来に求めるべきもの、「天の故郷」にあると告げています。
★この世にあっては私たちは「よそ者」つまり巡礼者です。私たちは安んじて暮らした故郷を出ています。しかし、なおまだ「天の故郷」には達していません。この世を完全な安らぎのところにすることはできないのです。
★「天の故郷」に至るには、「死の陰の谷」をかいくぐらねばなりません。「天の故郷」そのものは「大きな死」の後ですが、「天の故郷」の複写には「小さな死」を通ってあずかれます。私たちは毎日、今日という日を「死んで」います。「小さな死」とは一日の終わりです。一日一日は小さな死の積み重ねです。今日という日を死に切ることによって、明日に向かって新しく復活します。不眠症は「小さな死」の死に損ないと言えるかも知れません。
★主イエスの十字架に己を重ね合わせて、大いなる赦しを与えられ、小さな死を死に切って委ねて眠ります。今日という日の罪咎過ちを明日に持ち越さないためには、小さな死を主イエスの十字架の名において死に切るのです。