カワラヒワ通信NO.7 2020年9月
ハレルヤ!
佐久穂ではコスモスが咲き始めました。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
9月15日(火)14時から第4回カワラヒワの集いを開催いたしました。佐久穂のログハウスでの参加者3名、Zoomでの参加者17名でした。ご参加ありがとうございました。ログハウスに来てくださったゲストは1名でした。父が日課にしていた大好きだった畑仕事の土地を快く使わせてくださっていたご近所の方です。お世話になった方だったので参加いただけて本当に嬉しかったです。
皆で集えるようにと父が建てたこのログハウスでたくさんの方と集える日が早く来るようにと心からお祈りしています。
次回カワラヒワの集いは、予定通り10月15日(木)14時からです。佐久穂のログハウスとZoomとの同時開催です。皆様のご参加をお待ちしております。
シャローム
復刻!ことばの栞 2016年9月
また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」 マルコ福音書 11:25
★主イエスの手厳しい「赦し」の勧めです。「恨み事」のない人はいないでしょう。そしてこの勧めを聞いて「はい、そうします」と即答できる人も多くはないでしょう。
★さりながら、恨み言に心を縛られて、苦しい思いをしているのは、恨まれている人ではなく、恨んでいる人です。恨まれている人は、とっくの昔に忘れています。恨んでいる人は、まるで片思いでのぼせ上げっている人のように、ずっと恨み事と恨み人を思い続けています。損得からいっても、恨み事は恨む側の方がはるかに損失です。
★神学者ティーリッヒは赦しを「赦すとは、覚えているけれど、忘れること」と定義しました。私は主イエスによる赦しの勧めを、単なる倫理道徳と捉えるべきではなく、「赦せないことを赦していただく」と私は理解しています。赦せない人を赦せたならば楽になれるけど、無理矢理に恨み事をねじ伏せないでおきます。
★「主よ、赦せない思いを赦してください。できるだけ早く『覚えているけど、忘れる』状態にしてください」と祈れば、恨みから必ず自由にしていただけます。これが「ねじ伏せる自我の業なる信仰から、授かる聖霊の業なる信仰へ」の歩みです。