カワラヒワ通信

カワラヒワ通信 NO.8

カワラヒワ通信 NO.8  2020年 10月

ハレルヤ!

 ログハウスの庭の真っ白だったミナヅキの花が紅く秋色になりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 1015()14時から第5回カワラヒワの集いを開催いたしました。佐久穂のログハウスでの参加者6名、Zoomでの参加者8名でした。今回も皆様から一言ずつお話しいただき、豊かな交わりの時となりました。ご参加ありがとうございました。

 今回の集いの中で讃美した「球根の中には」を口ずさみながら、ログハウスの庭にシラーカンパニュラータの球根を植えました。父の201610月の祈りの通り、球根はまさにピリオドではなく次へとつながるコンマです。花が咲くことを心待ちにしています。

 次回のカワラヒワの集いは1時間遅らせて1115()15時からといたします。佐久穂のログハウスとZoomと同時開催です。主日礼拝のあとになりますので、教会での集会などと重なる方もいらっしゃるかもしれませんが、ご都合のつく方はぜひご参加ください。お待ちしております。

シャローム

復刻!ことばの栞 20029

わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことが見分けられるように。

フィリピ信徒への手紙 1:9

▲私たちが「知る」「理解する」「認識する」という営為をする時、二つの方法を用いている。認識の二つの回路と呼んでもよい。英語で言えば、analysisanalogy である。

▲アナリシス を辞書で引くと「分析、分解、解剖、解析」という訳語が与えられ、アナロジー を引くと「類似、似寄り、類比、類推」が当てられている。例えれば、子供が「どうなってるだろう」と目覚し時計を分解してしまう。アナルシス とはこれである。子供が大人の世界を知ろうとしてままごと遊びをする。アナロジー とはこれである。

▲愛による「知る力」「見抜く力」とは、分析、分解、解剖によらず、自分の心の経験に照らして類推、類比して共感しながら理解する能力なのだ。

▲これを洞察ともいう。洞察とは字のごとく心という「洞」の中を「察」する力のことである。心の洞に分析の土足で踏み込むことなく、そっと寄り添って察する力、それが愛であり、その愛が増し加えられることを祈る。

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