自分掘り

心理カウンセラーになる!と覚悟を決めた最後の瞬間はなんだった?

「心理カウンセラーに俺はなる!」と思い立ったのはもうすぐ春が来るよという頃だったと思う。

そもそも、心理カウンセラーになりたかったのか、ただその時が来ただけだったのかは自分自身もわからないし、そもそもそこを掘り返してもあまり面白くもない。

2019年7月大好きな父が天国へ凱旋した。父がこの世界からいなくなる前に確認しておいてよかったことがある。

「私、心理カウンセラーになれるかな?」

と父に訊いた。

「できるさ!」

末期がんで寝たきりになり、強烈な痛み止めの副作用でおかしなことを言い出す前のことだった。

その横にいた母も大きな声で言った。

「あなたならできるわよ!」

決して否定をしない両親の元で育った私はこの答えが来ることを分かっていた上で、やっぱり確認したかった。背中を押して欲しかった。

背中を押す方も、押される方も怖い。本当にやりたいことに向かう時はあたり前のことだ。でもやっぱり押して欲しい。それをきっぱりをやり切ってくれるのは分かっていた。そこには共同体としての覚悟なのかな。責任の共有かもしれない。共有であり束縛ではない。

家族依存かもしれないけれど、こうやって恐れや痛みを共有し、共存していた我が家。その中心にいたのは、言わずもがな絶対的ヒーローである父である。

父はカウンセラーだったのかも

キリスト教会の牧師をしていた父は長いこと信者さんかそうじゃないかを問わず色々な人の話を聞いてきた。それは教会の中に住んでいた私にとって、幼少の頃からあたり前のことだった。

時間関係なく『面会人』がやってくる。そしてこもって何かを話している。

家には悩める青年たちがウロウロしており、そこらへんに寝ていたり、食事を一緒にしたり、遊んでもらったりしていた。知らない人が家の中にいて「こんにちは」と挨拶するのに疑問をもったことすらなかった。

この環境が『普通』じゃないことを知ったのはだいぶ大きくなってからだった。

そして心を痛めてどうしようもなくなっている人がこの世には沢山いると思っていた。

それでもこの世は回っている。きっと心を病んだり痛めたりしている人はどこかでどこかの父のような人に相談したりしているのだろうと思っていた。

だって、自分の育った環境が私の『普通』だから。

でも、そんなこともないんだよね。

今年の1月父が救急搬送され、このまま病院で死を迎えるか、それとも自宅に帰るかの選択肢を迫られた時、父は自宅に戻ることを希望した。そして自宅のログハウスで寝たきり生活を送っていた。もうそんなに話もできないし、長野の田舎の山奥に住んでいたのにもかかわらず、来客は途絶えることはなく、皆一様に「かつて先生に救われた」と口々に言っていた。

その中にはあの頃青年だった人たちが、もう定年間際の年齢でやってきたりもして笑えた。

「かれこれ40年前のことですよ、先生に話を聞いてもらったのは」とみな笑っていた。

あの頃は子どもだったから詳細は知らなかったけれど、みな悩んでいたんだな、そしていい出会いがあってよかったなと思う。

父の最期間際、話せなくなっていた時も来客はやってきて、父の手を握り「会えてよかった。それだけで元気になりました」と涙した。

師匠いうところの『最高のカウンセリング』なんじゃないだろうか?寝ているだけで誰かをカウンセリングしていたんだから。

いつの世にも話を聞いてもらいたい人がいる。
どうにかしたいと、もがいている人がいる。
だれか聞いてくださいと声に出せない人がいる。
迷子のままでふらついている人がいる。

40年前と違って『カウンセラー』がたくさんいる今、きっと世界平和は近づいているに違いない。

反抗期の終わりが来ただけかな

父から成人してからしばらくして「はるのは反抗期がなかったけれど、ずっと反抗されている気がする」と言われたことがある。

「ああ、その通りだな」と思ったのもよく覚えている。

死の間際、強烈な痛み止め(麻薬)の副作用でずっと訳の分からないことを言っていたが、その大方が、

「おれは嘘つきだ」
「ずっとだましていた」
「告白しなければならないことがある」

ということだった。その真に迫った言い方は「本当に殺人でもしたことがあるんじゃないの?」という猛烈な恐怖を感じるほどだった。それを聞いて長姉は「そんなことないよ。じじはたくさんの人を救ってきた」と枕もとで一生懸命言い続けていた。

それを遠くに聞きながら『父の他者への愛は、このあまりにも大きすぎる罪悪感から来ていたのではないかな』と淡々と考えていて、そして「ああ、私の反抗期は終わったんだな。これは認めざると得ない」と今まで生きてきたゾーンから離れる覚悟ができた瞬間だったのだろう。もしかしたら諦めに近かったのかもしれない。

父の罪悪感を背負ってしまったのは、まぁ業というか、性というか…。そういうことだ。

原罪からの赦しを日々説いていたキリスト教会の牧師が、死の間際まで罪悪感に苛まれていたということが、私の覚悟につながっているのかな。

そんなかっこいいもんでもないか。

そういえば、若い頃のあだ名が『忍者ハッタリ君』だったな。