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子どもが言うことをきかない…そもそも言うことをきかなきゃいけない?

子どもって本当に自由でいいなって思う?思わない?

確かにしがらみも大人に比べて少ないかもしれないし、『やらなきゃいけないこと』も少ない気がするし、『責任や義務』も大人に比べてないと思われる。

そんな気がする。

子どもはまだまだ保護されなければ生きていけない存在。赤ちゃんなんかはほっとかれたら本当に死に至るからね。それがどんどん成長して保護される部分が減っていき、自立していくのが成長。自立をさせていくのが子育て。

親たち、大人たちが「子どもって自由でいいな」思っていても、子どもたちはそんなことは思っていないだろう。むしろ『自由がない』と思っているはず。

子どもたちにはあまり選択権がない。保護されている立場上選べることが少ない。90%は親の都合で生きている。これが不自由じゃなくてなんだろう?

たぶん、『行動が自由』ってことじゃないなんだろうな。感情や表現は子どもの方が自由だ。そう、おとなたちはこの自由を『自由』と呼んでいるのかもしれない。

ともかくとして、保護されている子どもは自由を求めて行動する。特に9~10歳くらいになると『ギャングエイジ』に突入し、決まりや保護や親よりも、仲間との絆に重きを置くようになる。

そうなった時に親はこう思う「言うことをきかない」と。

そもそも、子どもってなんで親の言うことをきかなければならないのだろうか?

多分、この現代の日本社会での『いい子』は『大人の言うことをきく子』なのかもしれない。

それでいいのかな?

長男行方不明になるの巻

長男は自由だ。びっくりすることをやる。とはいっても結果的にはかわいげのあるビックリ感ではあるが。

ある日、帰宅したら長男がいない…。これで2度目だ。まだ明るい時期はよかったが、今はすでに真っ暗だ。そして自転車もない。

次男を保育園に迎えに行って帰宅してもまだいない。遠くで響く救急車の音にドギマギする。

思い当たるお友だちの家にいったら、いた。そのお友だちのお母さんも帰宅が遅い。

ピンポンしたら、やつら籠城しやがった。「まだ遊ぶ」と言って鍵を開けないのである。

この時点で夜7時…。こりゃどうしたもんかと考えていたらお友だちのお母さんが慌てて帰宅した。

事情が呑み込めた。昨日、そのお友だちが車と接触してパトカーと救急車騒ぎになったらしい。幸いケガはなかったのでよかったが、そのことにより春野家に行くことを禁じたらしい。

そしてやつらは考えた。

大好きなお母さんとの約束を守りつつ、遊ぶにはどうするか?を。

で、長男がお友だちの家に行くという案を思いついたらしい。

こいつら頭いい。でもどこかで「やばいことをしている。多分怒られる」と思って籠城したのだ。

笑える。

じゃ、禁止事項を増やせばいいのか?

親は子どもが心配で大切だから「あれもだめ、これもだめ」という。愛情からなのはわかっている。

事故にあっては困るし、人様に迷惑をかけることも困る。だから禁止事項を作るし、ルールも作る。そして子どもが親の作ったルールを守らなかったり、思い通りに行動しなかったりするとこう言う

うちの子は言うことをきかない

ってね。

ちゃんとしてほしい

とかね。

まぁそりゃそうだ。この現代の日本社会でスムースに生きていくには、人の言うことをきいてちゃんとしていた方がいいのかもしれない。

んっ?そうなの?ちゃんとして、人の気持ちを察して、空気を読んで、喜ばれるようなことをして、期待に応えていくっていう生き方をしていたら、楽しく幸せになれるんだろうか?

思いのすり合わせだ

お友だちのお母さんも結構ざっくりした方で「今後の対応は追って考えましょう」となった。

この後私がした行動は…

長男との思いのすり合わせだ。

・なぜこういうことになったのか?
・長男は今後どうしたいのか?
・譲れないところはどこなのか?
・母が心配な理由。
・母が今の時点できること。

子どもはほとんどが親の都合で生きている。でもそうやって親の都合で生きていきながらその中で自由を見つけて、権威と闘い、自分自身を確立していくんだろう。

お互いの思いをぶつけあって着地点を見つけてなんとか共生していくしかない。

こちらの思いばかり押し付けたら、親の期待にこたえたいという気持ちを残しつつ、自由を求めて無理をする。心に痛みを残しつつ成長していく。

それも悪くない。それは長男がなんとかしていくことだから。それでも私は長男の人生劇場の『名脇役』ポジションでいたいので、グイグイと出番を増やしていくつもりである。

私たちもそうやって育ってきた

私たちだって「親や先生の言うことをきいて」「ちゃんとしよう」と育ってきた。もしかしたらそれが楽だったのかもしれない。あの時は。

自分で考えなくてよくて、人が作ったレールをただただ前だけみて、進んでいくことはもしかしたら楽で心地よかったのかもしれない。

でも、ある日突然レールは切れるのである。レールが切れないことはない。だってそのレールは自分のレールじゃないから。

自分で考えることも、自分で決めていくことも、自由を手に入れることも、やっぱり怖い。

ここで間違えちゃいけないのは、

『一人ですべて決めなければならない』
『自由じゃなくちゃいけない』

ではないということ。『親だから子どものことを決めてあげなくちゃ』ではない。

子どもはやはり保護されている。それは先に生まれた私たちのできることのひとつではある。

それでも、心配の比率を信頼に変えていき、そのバランスを取っていくのが、子どもの自由を増やしていくことになると、私は信じている。

あなたも私もいつまでも誰かの子どもなんだよね。『親は親、子どもは子ども』「あなたはあなた、私は私』そう唱えて、どこまでも自由にいきたいもんだ。

それにしても、長男の自立さと、次男の依存さを足して2で割りたい。←これが兄弟差別につながるのか?(反省)

因みに夫は何かというと「ちゃんとして~」という。「ちゃんとってなによ!ちゃんと具体的に説明してよ」と言い返すが…あれ…私もちゃんとって言っちゃった。てへっ!

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